そばの散歩道


第18回 鮎

1年だけの命の「年魚」│鮎。塩焼き、鮎鮨を味わいつつ、行く夏を想う

向笠千恵子(フードジャーナリスト、エッセイスト)

 鮎は爽やかな魚だが、1年しか生きない。秋に生まれた稚魚は海に降り、春に川をさかのぼって、夏、上流で成長し産卵して一生を終える。それだけに、魚体は生命の力にあふれている。とくに夏は川苔を食べて身がはりきり、味もすこぶるいい。また、川苔の香りが身に移って、捕れたときはすいかのような香りがする。

 鮎は日本中の川で捕れ、それぞれにおいしいが、定評があるのは岐阜の長良川産。わたしも上流の郡上八幡で食べた塩焼きがいまだに忘れられない。

 長良川の伝統漁法は鵜飼である。岐阜市の関市小瀬地区で岩佐昌秋鵜匠の漁を見せてもらったことがある。闇が迫るころ、わたしが乗った屋形船の前に、上流から鵜船がやってくる。岩佐鵜匠は風折烏帽子(かざおりえぼし)に筒袖の漁服、胸当てという姿で、腰蓑を付けていた。

 灯は篝火(かがりび)。船縁には鵜が12羽。やがて鵜が放たれ、鮎の気配を感じると宙返りするようにもぐっていく。鮎を捕らえると細綱が引かれ、鵜匠が魚を吐き出させる。ホウッホウッという掛け声、篝火にきらめく水面、人と鵜の黒い影……ほんの10分ほどで鵜船は下っていった。芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」そのままの世界である。

 岸に戻って魚籠を見せてもらう。鮎は15センチ程度だったが、いずれも均整がとれて美しい。そして、鵜の嘴(くちばし)のあとが鋭く胴に残っている。水中の戦いのすさまじさを想像して、わたしは芭蕉の詠んだ悲しさの意味のひとつがようやく分かった。

 歴史上の有名人にも長良川の鮎が大好きという人がいた。徳川家康である。江戸まで取り寄せたのだが、当然、活けでは届けられないから、鮎鮨に仕立てた。やがて、運んだ道筋は鮎鮨街道と呼ばれるようになった。今の岐阜駅前から加納、笠松をへて一宮から名古屋に出て、その先は東海道に合流するという、鮎鮨のための道である。

 鮎鮨は歴代の将軍が賞味したが、明治からは幻の味になってしまった。それを復活したのが岐阜市の料亭「たか田八祥」の高田さん。塩漬けにした鮎の腹にご飯を詰めて木桶に並べ、ご飯と交互に重ねて2週間ほど置いて乳酸発酵させるのである。

 漬け上がると鮎の身は半透明になり、つんと酸味が舌に響くようになる。腹のご飯は乳酸のすっぱい香りを漂わせ、濃い甘酒のようにクリーミー。香りの軽い吟醸酒と相性がいい。発酵食品だから好き嫌いはあるだろうが、わたしはこの鮎のスローフードがときどき無性に食べたくなる。




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