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にっぽん蕎麦紀行





◎話術抜群のそば道場

『草笛明日香』の大広間(2階)
『草笛明日香』の大広間(2階)

蕎麦打ち体験道場『草笛明日香』(左は中村利勝氏)
蕎麦打ち体験道場『草笛明日香』(左は中村利勝氏)


平成7年に訪れたとき、中村さんは私を、『草笛遊子亭』の隣の真新しい鉄筋4階建てのビルに案内した。そこには『草笛明日香(あすか)』の看板がかかっていた。
1階は一般向きの蕎麦屋。2階は団体向きの大広間。3・4階が「蕎麦打ち道場」で、80人が同時に蕎麦打ちを体験出来るようになっている。
観光バスの「蕎麦打ち体験ツアー」でやってくる首都圏からのお客が多い。講座は、まず、中村さんの講談調の「信州そば歴史」から始まる。
「その昔、太閤秀吉公の寝首を掻こうと忍び入った石川五右衛門を取り押えたのが強力無双の仙石権兵衛。その子の仙石政明公が後の小諸城主で、小諸から上田、さらに但馬国(兵庫県)の出石(いずし)へお国替えになった。そのとき信州から御用そば屋を連れて行ったのが、いま評判の出石そばの元祖……」
といった調子だ。
蕎麦の理論から、手打の実技までを面白おかしく指導し、1時間半ほどで、ひとかどに技術を身につけた体験者たちは、自作の蕎麦に舌つづみを打って、満足そうに帰ってゆく。
参加者は学生団体、主婦グループ、職場の慰安旅行など、幅が広いという。






◎県都長野市へ念願の進出

『草笛』長野店の店内
『草笛』長野店の店内


平成9年、長野市の中心街を歩いていると、バスターミナル・ビルに『草笛』の看板が出ていた。「待合室の横に、小さな蕎麦スタンドでも出したのかな?」と入ってみると、それが広いターミナルの地下、約半分を占める大きな店だったのには驚いた。
「県都に店を出すのが、長年の夢でした」と中村さんは言った。毎朝、小諸から始発電車で通い、朝のうちに450人分の蕎麦を打ち上げて、それから他の店を回るのだという。そのスタミナに恐れ入った。
客席120の大型店だが、窓のない地下の単調さを補うために、間仕切りや小座敷の配置に細心の注意を払っている。サラリーマンのお客が大部分だから…と、蕎麦のボリュームはたっぷりだが、質に揺るぎのないのはさすがだった。






◎オアシスの街に完成した夢の店

『佐久の草笛』の玄関に据えられた巨大な石臼
『佐久の草笛』の玄関に据えられた巨大な石臼

桜山政彦さん(次女礼子さんの夫)
桜山政彦さん(次女礼子さんの夫)


そして平成11年、中村さんは6番目のプロジェクトに挑んだ。長野新幹線佐久平駅前への出店だった。
平成9年に開通した長野新幹線は、小諸の中心街から7kmほど離れた佐久市内を通り、小諸と小渕沢を結ぶ小海線との交差箇所に佐久平駅が作られた。見渡す限り、水田と畑が広がっていた大平原の中に、蜃気楼のように出現した近代的な駅舎。それを中心に新しい街造りが進み、大型店やホテルが並ぶオアシスのような市街地ができあがった。その新駅の真正面に威容を誇る純和風の豪壮な蕎麦屋。それが中村さんが精根をこめた『佐久の草笛』である。
案内を受けた開業の日、私は新しい店を訪ねた。店の横に巨大な水車が回り、それと歯車で連動して、店内では日本最大という直径1.2mの石臼がゆっくりと蕎麦を挽いていた。
2人兄弟とムコさんが忙しく立ち回る店内。次女礼子さんの夫、桜山政彦さんも、かいがいしく戦列に加わっていた。だが、中村氏の姿は見えない。「社長は…?」と聞くと、長男の勝彦さんが「今日も蕎麦道場があって、手が放せないんです」と言った。



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