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第32回 
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ビルの谷間の宿場町に昔の蕎麦やを再現4代目店主の型破りなボランティア商法

にっぽん蕎麦紀行 写真・文/旅行作家 富永政美 space

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江戸から4番目の宿場町
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♪「お江戸日本橋、七つ立ち」

昔、東海道を旅する人は、「七つ」(午前4時)に江戸を立つのが習いだった。
品川・川崎・神奈川と、3つの宿を過ぎて、4番目の宿場町が保土ヶ谷(ほどがや)。江戸からここまでは8里半(約34キロメートル)。ふつうなら8時間半の道のりだった。

足の達者な人は、もう一つ先の戸塚宿まで足を延ばしたが、多くの旅人は保土ヶ谷で旅の第一夜を過ごした。江戸末期の天保年間に、保土ヶ谷宿の家数は558。人口は2928。旅籠(はたご)の数は67と記録されている。今の保土ヶ谷は、横浜市保土ヶ谷区。人口は20万を超える。都市化の中で、宿場町の名残を見つけるのはむずかしい。


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江戸時代に保土ヶ谷屋宿の入り口だった天王町駅付近
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江戸時代に 保土ヶ谷宿の入り口だった天王町駅付近
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旧東海道「歴史の道」…スッキリしすぎが玉に傷
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旧東海道「歴史の道」
…スッキリしすぎが玉に傷

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タマちゃんも泊まった?保土ヶ谷宿
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昔、江戸方向からの旅人は、帷子(かたびら)川にかかる橋を渡って保土ヶ谷の宿場町に入った。安藤広重の版画集『東海道五十三次』にも、帷子橋を渡る旅人たちの姿が描かれている。

最近、アザラシタマちゃんの出現で有名になった帷子川だが、今の流れは昔とは変わっている。旧東海道沿いに歩いてゆくと、相模鉄道天王町駅前の小さな公園に「旧帷子橋跡」の碑が立っているが、現在の帷子橋はそこから約100メートル手前にかかっている。天王町駅からJR保土ヶ谷駅前まで、約1キロメートの旧東海道が、最近「歴史の道」として整備されたが、あんまりスッキリと近代的に出来上がっていて、宿場町の情緒とはほど遠いのが残念だ。だが、保土ヶ谷駅前を過ぎると、道は狭くなり、入り組んだ商店街が軒を連ねている。

『高砂』という蕎麦屋さんの角に、「高札場(こうさつば)跡」と手書きした小さな札が下がっていた。その先の四つ辻は、鎌倉方面へ抜ける脇街道「金沢道」の別れ道だった所で、江戸時代に建てられた4本の石の道標が、古色蒼然と残っている。旧東海道はJR東海道線と横須賀線の踏切を過ぎて間もなく、国道1号線の渋滞の中に呑み込まれる。国道沿いの古い家の前に「保土ヶ谷宿本陣跡」の朽ちかけた看板が心細く立っていた。そこは参勤交替の大名たちが泊まった宿場の中心だったのだから、他の宿場町なら、ここに立派な「御本陣」を再建するところだが、日本最大の人口を誇る横浜市に、そんな余裕はないのだろうか。そのお粗末さを嘆きながら、保土ヶ谷駅に戻る途中・・・、思いがけない光景が目に入った。

 

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タマちゃんで有名になった現在の帷子川
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タマちゃんで有名になった
現在の帷子川

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保土ヶ谷駅前(『桑名屋』は正面のビルの後ろ)
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保土ヶ谷駅前
(『桑名屋』は正面のビルの後ろ)

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旧東海道に残る江戸時代の道路標識
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旧東海道に残る
江戸時代の道路標識

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海道一の蕎麦どころ?
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駅前に聳え立つ高層ビルの谷間にチンマリと建つ蕎麦屋。軒には「宿場そば」の行灯(あんどん)を掲げ、表の障子戸(しょうじど)には「保土ヶ谷宿・桑名屋」と手書きの文字。まさに絵に描いたような宿場の店である。戸をあけて店内をのぞくと、中も見事に古い。正面の奥には、くすみきった畳の部屋。右手には透かしの坂ばしごが2階へ伸びている。

「はい、いらっしゃい」と、左手の小田原提灯の下から、大きな体の旦那が愛想のよい顔を出した。 「蕎麦を所望したい」と、思わず古風な言い方をすると、
「さァ、どうぞ。お履物はそちらへ」と、指さす方を見れば、大きな下足箱。その蓋の1つ1つに、番号代りに東海道の宿場町の名前が書かれていた。「五十三次の宿場が全部あります。お好きな宿場にワラジを脱いでください」と言って、旦那はワハハと豪快に笑った。

「宿場マニアなんですよ、私は。エ、貴方もそう? それは嬉しいな。ワハハ」私は由比宿の所に靴を入れて、座敷に上がった。見かけは古いが、なかなか凝った造りだ。旦那は近藤博昭さん(55)。出された名刺には屋号の『桑名屋』の下に「保土ヶ谷宿400倶楽部」と書いてある。「おととしの2001年が、東海道400年祭だったでしょう。その年に仲間とこの会を結成し、東海道のほかの宿場町とも連携して・‥」旧宿場の町起こし運動や、歴史発掘などのボランティア活動に力を入れているのだという。

「これを見てください」と、近藤さんは広重の「保土ヶ谷宿」の版画を私の前に置いた。「ホレ、橋の向こうの茶屋の看板に”ニ八”の文字が見えるでしょう。広重が五十三次の中で、蕎麦屋を描いたのは保土ヶ谷宿だけ。この宿場には、蕎麦屋が4軒もあったんです」「それは知らなかった。でも、桑名は伊勢の国の宿場でしょう。それをなぜ、おたくの屋号にしたの?」

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ビルの谷間に宿場の蕎麦屋…保土ヶ谷宿『桑名屋』
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ビルの谷間に宿場の蕎麦屋
…保土ヶ谷宿『桑名屋』

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2階へ透かしの階段
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2階へ透かしの階段
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東海道五十三次が勢揃いの下足箱
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東海道五十三次が勢揃いの
下足箱
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元気一杯の蕎麦屋サン、近藤博昭さん
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元気一杯の蕎麦屋サン、
近藤博昭さん

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