《連載》虎視眈々 片山虎之助の眼

日本麺類業団体連合会が発行する冊子『麺』の随筆です。

12月は蕎麦の月

第九回 片山虎之介

東京・神田の老舗蕎麦店『神田まつや』には、年末ともなると、多くの人が訪れる。仲間とともに、蕎麦と酒を楽しみながら一年を振り返るのが、大きな楽しみになっているのだ。

十返舎一九の本に描かれた年越蕎麦と思われる絵。

『神田まつや』主人、小高登志さんの話によると、ひとむかし前は、年越し蕎麦の出前は大変な数だったという。今は蕎麦をかついで車の間を行き来するのは危険ということもあり、出前は行っていないが、『神田まつや』にある、かつて出前に使った蒸籠(せいろ)の数は、数百を数える。

年越し蕎麦は国民的行事ともいえるほど、私たちの生活に定着している。この言葉を知らない人は、いないほどだ。しかし昔の生活を振り返ってみると、12月は年越し蕎麦以外に、もっとたくさん蕎麦が食べられていた。日本人は、それをすっかり忘れてしまっているのだ。

「神田まつや」は、明治17年創業。120年を越える歴史を有する老舗蕎麦屋だ。そのたたずまいは、江戸の蕎麦屋を彷彿させる。

師走(12月)になると、多くの家で大掃除をするが、昔は年末の大掃除を「煤(すす)払い」と呼び、大掃除のあとには「すす払い蕎麦」を、皆で食べていたものだった。

麺類研究家であった新島繁さんの著書『蕎麦歳時記』によると、江戸城の大奥でも、12月13日に大掃除をして、夕方には「すす払い蕎麦」を食べるのが、恒例の行事だった。

蕎麦は家紋が付いた立派な椀に盛られ、お代わりの分は蓋に盛られて供された。蕎麦つゆも別の椀で出されたが、薬味は付かなかった。

神田まつや

蕎麦は大奥御用達の『万屋』から出前された。だが将軍は、暗殺などという不測の事態を避けるために、それには箸をつけず、大奥の御前所(食事を作るところ)で作った蕎麦とつゆを召し上がった。

江戸城の「すす払い蕎麦」が12月13日だったので、江戸の民衆もこれにならい、同じ日に皆で「すす払い蕎麦」を食べた。そしてご近所や知人に「すす見舞い」と称して、蕎麦を贈りあったという。

日本各地に目を向けると、蕎麦の行事は、より盛んに行われていた。山梨県では12月8日に、子供が親を招いて蕎麦や赤飯を御馳走する「親祝い」という行事を行う地方があった。つまり、日頃なにかとお世話になっていることへの感謝と、親の健康を喜ぶ食事会だ。

それに対して親は、翌年の2月8日、「子祝い」と称して、子供にそのお返しをしたという。

品書きには伝統の蕎麦に加えて、新しく公安されたメニューも並ぶ。特に人気が高いのは、「もりそば」や「ごまそば」など。

親と子の関係が希薄になっている現代、互いを思いやる気持ちを、形にして相手に伝えるこのような交流は、できるものなら復活させたい、すばらしい行事だと思う。蕎麦が親子の縁を、より強く結びつけるのだ。

また、島根、鳥取、岡山県などでは、12月8日に「嘘つき祝い」という、ちょっと面白い行事があった。この日に豆腐を食べると一年についた嘘が帳消しになるのだという。島根県の一部ではこの日、商人が一年の嘘のつぐないとして、ご近所やお得意さんに、蕎麦を配った。蕎麦で帳消しになるくらいのことだから、昔の人は、たいした嘘はつかなかったのか。あるいは少々の嘘は大目に見る、太っ腹な人が多かったのかもしれない。

冬は「天ぷらそば」が良く出る。衣に甘汁が染み込んだ天ぷらのうまさは蕎麦屋ならではのもの。酒肴には「そばがき」も人気。

いずれにしても蕎麦をコミュニケーションのツールとして、生活の中で楽しく活用していた人々の姿が、浮かびあがって見えてくる。

さて、今年の年越し蕎麦は、誰と食べるか。一年のうさを、つるりと流して、気持ちを清々しくしてくれる蕎麦は、新しく始まる年に向かって歩き出す活力を、きっと与えてくれる。

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