そばの散歩道

麺類雑学事典

新そば

江戸っ子の「初物好き」はよく知られるところだが、これは「初物を食べると七五日寿命が延びる」という俗信が根強くあったためというのが定説で、「初物七十五日」という言葉もある。筆頭は例の初鰹で、高値が高値を呼んだピークの天明期(1781~89年)には、現在の貨幣価値に換算して一尾10万円以上もしたという。

江戸ではそばの初物、すなわち新そばも大変な人気だったようで、俳諧や川柳でも数多く詠まれている。なかでも同じく天明期の、

新蕎麦に又生延る長命寺

という句など、まさに極め付きだろう。七五日の俗信に加えて、年越しそばの異名として寿命そばという言葉もあったように、そばにはもともと長寿にあやかれそうなイメージがあったから、新そばとなればなおさらのことだったのかもしれない。しかも、法外な金額で取引される初鰹と違い、そば屋が新そばだからと値段を吊り上げたという話は寡聞にして聞かない。川柳に、

新そばは物も言はぬに人がふへ

『史記』の「桃季もの言わざれども下自ら蹊を成す」、つまり、徳のある人のもとへは自然と人が集まるという中国のたとえを踏まえて、新そばが次々と客を呼ぶさまを詠んだもの。また、

新そばの給仕廊下でつき当たり

といった繁盛ぶり。ソバはカツオと違い、需要と供給のバランスがとれていたせいもあったのかもしれないが、そば屋はあくまで薄利多売の精神を貫いていたようである。

蕎麦の花見は散るが楽しみ

などという句もあるように、江戸人は新そば(「走りそば」ともいった)を首を長くして待っていたが、新そばの出回り始める時季を俳諧の季語でみると、旧暦の八月と九月の二説があった(八月説は正徳3・1713年、九月説は享保2・1717年)。八月の季語としたのは、まさに走りのそばを珍重したからで、もっぱら青みがかかった色を尊び、ソバの実の穀物としての成熟度には目をつむっていたらしい。これに対して九月説は、きちんと成熟させたソバの実の早いものという基準を設けているが、八月説も本当に成熟させたソバは冬まで待たなければならないと断っている。

ちなみに、八月説は旧暦8月15日の中秋の名月に、九月説は同じく旧暦9月9日の重陽の節句(菊の節句)に重なる。現在の新暦でいえば、9月と10月(旧暦では冬)である。

なお、昔の「新そば」は秋に収穫される秋ソバの新物のことで「秋新」とも呼ばれる。暑い盛りに穫れる夏ソバは初物でも「新そば」とはいわなかったそうだが、夏ソバ系統の品種が主流になっている最近は、この区別が曖昧になっているようである。また、「新そばといえばサンマの匂い」というのはおそらく明治以降のことだろうが、サンマもかつての東京では、10月から11月にかけての中秋の風物詩であった。