そばの散歩道

そばのあいうえお

鴨南ばん

文献の中に「鴨南ばん」が登場するのは、文化八年(一八一一年)に刊行された『四十八癖』なる滑稽本の初編に「鴨南蛮の二つも喰つて」という記述がある。また、文政一三年(一八三〇年)に発行された「嬉遊笑覧」という書物の中にも「又葱を入るゝを南蛮と云ひ、鴨を加へてかもなんばんと呼ぶ」とあり、ルーツに関しても「馬喰町橋づめの笹屋(治兵衛)など始めなり」とあることから、江戸時代の後期にはかなりポピュラーなメニューだったようである。ちなみに「南ばん」は、ネギやトウガラシを意味するが、これはインドシナなどを中心とする南海諸国を意味する「南蛮」からきており、室町末期から江戸時代にかけては、タイやジャワなど諸国を巡って渡来する人や物を広く「南蛮」と称した。江戸時代には、主としてポルトガル人やイスパニア人を「南蛮人」と呼んだが、一説にはこうした渡来人たちが異国での病気予防の意味もあって、辛い野菜を好んで食べたのでこう呼ばれるようになったといわれている。

「鴨南ばん」に使用される鴨肉は、真鴨(まがも)の雄と家鴨(あひる)の雌との間に生まれる合鴨(青くび)の両胸にある「抱き身(ダキ)」という部分などを使うが、これは本鴨では味に癖があり、麺の風味を損なうためである。また、昔から、鴨肉以外に鶏肉を使ったメニューを「鴨南ばん」と称している場合もあるようだが、消費者の混乱を避けるためにも、鶏肉を使用した場合は「鳥南ばん」か「かしわ南ばん」と表示するのが適切であろう。

参考文献『蕎麦辞典』『そば・うどん百味百題』『蕎麦の世界』