そばの散歩道

麺類雑学事典

江戸時代のそばの品書き

そば屋の品書きは江戸時代にすでに確立されていたとは、よくいわれることである。ただし、江戸時代といっても、それほど昔のことではない。江戸時代は約260年も続いた太平の時代だったが、品書きが出揃ったのは幕末近くになってからのことだ。

この江戸のそば屋の品書きを紹介している文献は、当時の貴重な風俗考証書として知られる『守貞謾稿』である。天保(1830~44年)から嘉永(1848~54年)にかけてのさまざまな風俗を記録したもので、嘉永6年に一応完成している。

ところで、『守貞謾稿』の文中には、この品書きは最近の流行といった断りはとくに書かれていない。つまり、同書が扱っている時代にはすでに、一般的な品書きになっていたと推定できるわけだ。したがって、いろいろな種ものが出揃ってそば屋の品書きが定着したのは、概ね天保以降のことということになるだろう。

同書が、おそらくそば屋の壁に張り出されていた品書きの図入りで紹介する品名と値段は、次の通りである。

御膳大蒸籠 代四十八文
そば 代十六文
あんかけうどん 代十六文
あられ 代二十四文
天ぷら 代三十二文
花まき 代二十四文
しつぽく 代二十四文
玉子とじ 代三十二文
上酒一合 代四十文

また、これらの品書き以外に、鴨南蛮と親子南蛮も紹介している。ただ、筆まめな著者にしては珍しく、この二品については内容のあらましが書かれているだけで値段は書かれていないが、天保12年の江戸見聞記『江戸見草』では、かもなんばん、かしはなんばん、おやこそばとも四十八文としている。

さて、この品書きを見てまず興味をそそられるのは、御膳大蒸籠と「そば」の値段の違いだろう。当時、いわゆる二八そばは、店を構えたそば屋でも屋台のそば屋(夜鷹そば)でも品質のおちるそばの代名詞になっていたようで、同書もこれを「駄蕎麦と云」と断定している。そのため「御膳」とか「手打」と称して、品質のよいそばであることをアピールしたわけだ。大蒸籠というからには量が多いのだろうが、量が二倍とすれば、品質差は1.5倍ということになる。

また、これらの品書きのうち、現在、あまり見かけなくなっているものに「しっぽく」がある。これはそばの種もののなかで最も早く登場したもので、その時期は寛延(1748~51年)の少し前頃のことと推定されている。

しっぽくとは、元禄(1688~1704年)頃から長崎で盛んになった和風中国料理・卓袱料理から来た言葉で、この外来料理をヒントにそば屋が創作したものといわれている。