そばの散歩道

麺類雑学事典

そばと卵

いうまでもなく卵(鶏卵)は、これだけで手軽に各種栄養素(ビタミンCを除く)を摂取できる完全栄養食品である。戦後は物価の優等生として重宝されてきた食品だが、古くからそばとも縁が深い素材でもある。

そばと卵の組み合わせの初出と考えられるのは寛延3年(1750)刊の『料理山海郷』に製法が紹介されている玉子蕎麦切。これは変わりそばの一種であり、変わりそばの初出でもある。当初はそば粉に全卵を加えていたが、後に黄身だけ加えるものは「卵切り」、白身だけのものは「白卵切り」と使い分けるようになったという。そばだけでなくうどんの変わり麺にも用いられ、こちらは「卵めん」と呼んで区別することもあったらしい。

また、卵はそばを打つ時のつなぎとしても用いられる。古いところでは、寛延4年脱稿の『蕎麦全書』は、そば粉が乾いたりして打ちにくい時は、卵や長イモでねばりをつけるとよいとしているが、そばがきでつなぐ(友つなぎ)ほうがおいしいとしている。一方、天保年間(1830~44年)末期には「玉子つなぎ故至極よろし」と書いた記録がある。個人の嗜好もあるだろうが、江戸時代から意見が分かれていたのは興味深い。

種ものでは何といっても玉子とじだろう。歴史的にも普及の度合いから見ても、天ぷらと同様、そば屋の代表的な種ものといえる。天保から嘉永(1848~54年)にかけての風俗の記録である『守貞謾稿』によると、二八そばが一六文に対して玉子とじは三二文で、天ぷらそばと同じ値段であった。玉子とじは本来、そばの上に海苔を置き、その上からとじたつゆをかけるものともいわれるが、『守貞謾稿』にはただ「鶏卵とじ也」とあるだけで、江戸時代末期から海苔とセットだったのかどうかはわからない。

ちなみに『守貞謾稿』の著者・喜田川守貞は京・大坂のうどん屋にも詳しく、上方のうどんの品書きも記録しているが、それによると、うどん・そばの一六文に対してけいらん三二文、小田巻三六文。けいらんはうどんの玉子とじ、小田巻はうどん入りの茶碗蒸しである。現在、関西でいう「けいらん」は一般に、つゆにとろみをつけたあんかけ風、関東でいう「かき玉」のことだが、当時はただの玉子とじだったようだ。ただし、関東のかき玉も本来はうどんの種ものである。

そのほか、卵を使用するそばの種ものといえば、おかめと月見がよく知られるところだろう。おかめは幕末頃に江戸下谷のそば屋が考案した種ものとされているが、当初の頃の具の基本は島田湯葉(髪)、マツタケ(鼻)、かまぼこ二枚(両頬)とされ、玉子焼きを使うようになるのは後のことらしい。

一方、月見という種ものがいつ頃から売り出されたのか、その時期は不明だが、明治以降のこととしてまず間違いあるまい。由来とされるのは姨捨山伝説で知られる信州更級・冠着山の田毎の月。そばの上に海苔を敷くのは、海苔を田になぞらえるためである。