そばの散歩道

麺類雑学事典

そばと山の芋

そばと山の芋は古くから縁が深い。そば屋の品書きでは「山かけそば」がポピュラーな種もののひとつになっているが、比較的知られているのが、そばのつなぎとして使われることだろう。

いま、山の芋でつないだそばというと、地方の郷土そばをイメージする人が多いようだ。実際、古くから農山村などで伝えられている郷土そばには、山の芋(つくねイモ、銀杏イモ、自然薯、長イモなど)をつなぎに使うものが少なくない。そのエリアも、東北、関東、中部地方から四国・九州の一部までと大変広域に分布している。

山の芋つなぎの手法は、寛延4年(1751)脱稿の『蕎麦全書』で取り上げられている。著者の友蕎子はぬるま湯のみでこねるのが最もよいとしているが、挽いてから日数の経ったそば粉を使う場合やそば粉の質の落ちる夏の時期などの方法として卵つなぎと薯蕷(長イモ)つなぎを紹介している。ただし、この長イモは自然に生えているものが最もよいとしているから、現在の長イモではなく、自然薯の一種のことをいっているのかもしれない。ともかく、長イモはうるおいがあって練りやすく、できもさっぱりとしているのだが、つくねイモは非常によくないと書いている。

同書によると、この時代(そばがうどんを凌駕しつつあった時代)の江戸のそば屋では、小麦粉つなぎが大流行になっていたようだが、農山村などでは、とくに栽培していなくても簡単に入手でき、しかもつなぎとしての働きにもすぐれている山の芋は、手頃な材料だったのだろう。『蕎麦全書』で当然のことのように紹介されていることから、比較的早い時期から広まっていた手法とも考えられる。

そばの製法を記した文献で最も古いのは、寛永20年(1643)板の『料理物語』だが、ここでは、そばのつなぎとしては飯の取り湯(おねば)か豆腐しか出てこない。しかし、同書で紹介されている薯蕷麺は、もち米の粉とうるち米の粉を合わせて山の芋でこねてつくるとある。つまり、山の芋はかなり以前から、麺類のつなぎとして重宝されていた可能性が高く、それがそばに応用されるのは自然の流れだったともいえるわけだ。

ところで、山かけそばがそば屋の種ものになった時期ははっきりしないが、現在山かけそばといえば、すりおろした山の芋をもり汁でのばしたとろろ汁を使うのが一般的だろう。そばの上からとろろ汁をかければ山かけ、とろろ汁を猪口などに入れて別に添えれば「とろそば」あるいは「つけとろ」となる。「山かけ」は冷たいそばが本筋といわれるのは、温かくするとイモ特有の粘着力が弱ってしまうためである。しかし、18世紀初めに書かれた『料理指南書』では、山かけそばは、山の芋をすり入れたそばつゆを熱くしてそばにかけると書かれているそうだ。ただし、これはそば屋の種ものではなく一般的な調理法のようである。