そばの散歩道

麺類雑学事典

そば湯

もりそば(蒸篭でもざるでもいいが)食べた後、余った汁にそば湯をさして飲み、そばの余韻を楽しむ。そば好きには堪えられないひととき、そばの醍醐味であろう。なにかと「こだわり」を大事にするそばブームのせいか、昨今はそばの食べ方ばかりか、そば湯の飲み方についての講釈も耳にする。

そば湯を飲む風習はまず信州で始まり、江戸時代中期の寛延(1748~51)の頃、江戸に広まったとされる。寛延は、江戸市中でそば屋の数が目立って増え始めた時期でもある。そばがもてはやされるようになると同時に、そば湯も愛好されるようになったということらしい。

ただ、どうしてそば湯が盛んに飲まれるようになったのか、その理由ははっきりしない。うどんや冷や麦、そうめんの茹で湯は飲まないのに、そばの茹で湯に限り、そば湯と称して賞味する。うどんの場合は、麺中の塩分が溶け出していて塩っぱいから、というだけでは、説得力に欠けるようだ。

そばの茹で湯は栄養価が高いからというのは、もっともな理由ではあるが、これは現代人の感覚である。江戸時代の人々に、そのような知識があったとは考えにくい。

そば湯の普及に先駆けて、元禄10年(1697)刊の『本朝食鑑』が取り上げ、「そばを食べた後にこの湯を飲まないと病にかかる、食べすぎてもこの湯を飲めば害はない」という説を紹介しているが、どうも著者自身は疑問符をつけているような書き方である。『本朝食鑑』以後も、そば湯の薬効について説得力のある説明をしている書物は見当たらないという。

しかし少なくとも、うどんや冷や麦の茹で湯は飲んでもうまくないが、そば湯はおいしく飲めるから、という理由は成り立つだろう。

また、そば湯は腹の足しになる、ということも見逃せない。古いそば屋の隠語で、そば湯のことを「御雛湯(おしなゆ)」といったが、これは、修業中の見習い(御雛。「しな」は東京弁)が空腹を紛らわせるのに、そば湯に殻汁を数滴たらして飲んだことに由来する。

そばのたんぱく質の半分程度は水溶性のため、そば湯の中に豊富に含まれている。しかも、このたんぱく質はそばのうまみ成分でもあるから、そばを食べた後にそば湯を飲めば、そばを余すところなく味わうことになる。

もちろん、いうまでもなく昔の人の生活の知恵は素晴らしい。現代栄養学の知識はなくても、そば湯が栄養に富んでいることを、経験的に認識していたのかもしれない。

そばには、ポリフェノールの一種で、脳出血などの予防効果のあるルチンが含まれていることはよく知られている。このルチンも水溶性で、そば湯の中に溶け出しているが、残念ながら、その流出量は数%程度とされる。

そのため最近は、そば湯だけ飲むのならよいが、汁を加えると、むしろ塩分の過剰摂取が問題になる、という指摘もある。