そばの散歩道

麺類雑学事典

そばと大根

最近とみに人気のあるそばの食べ方として「おろしそば」が挙げられよう。大根おろしをそばの上にたっぷりと載せて、ぶっかけ風にして出す店が多いようだが、もりそばと同じように猪口に入れたおろし汁で食べさせる店もある。

おろしそばといえば、昔から越前が本場とされる。福井市や武生市が有名だが、小浜市では「からみそば」と呼ぶ。ただし、越前そばといっても食べ方はいろいろで、大根おろしの搾り汁だけを使う場合と、おろしをそのまま使う場合とがある。味つけも生醤油だけのこともあるし、そば汁を用いることもある。薬味の花鰹と刻みねぎはほぼ共通しているといえようか。

しかし、大根おろしでそばを食べるという風習は越前だけのものではなく、江戸時代には、そばを栽培する農山村で一般に見られた食べ方だったという。そばどころ信州はその代表で、「木曽の山道とかけて打ちたてのそばと解く。心は辛味(空身)で上がれ」という謎掛けがあるほどだ。木曽では熱い灰の中にしばらく入れて辛味を出した大根の搾り汁に焼き味噌を混ぜたが、「鬼汁」と呼ばれるほどの辛さだったといわれる。これに対して、北信の上田あたりでは同様の辛汁を「真田汁」と呼ぶ。真田幸村にちなむという。善光寺平周辺では同様の汁を「おしぼり」というが、こちらはそばではなく、寒い冬の夜に食べる釜揚げうどんの汁だった。

このように、農山村で大根おろし、またはその搾り汁がそば汁として広く利用されたのは、醤油の代用だったという説がある。しかし、江戸などの大都市でも、そば汁の材料として醤油が普及するのは江戸後期になってからで、それまでは味噌味の汁がふつうだった。

元禄10年(1697)刊の本草書『本朝食鑑』は、「近頃、世を挙げてそばを好み、大根汁の極めて辛いのが喜ばれている。それで各家では、争ってはなはだ辛いものを植えている」と記している。また、『蕎麦全書』(寛延4年、1751)も、そばの薬味の第一に辛味大根を挙げ、紙に包んで熱灰の中に入れておけば非常に辛くなるとしている。

要するに、そばのほのかな甘みと大根おろしの辛味との出合いにこそ、おろしそばならではの醍醐味があるということであり、使う大根は辛さが命である。そのため最近は、おろしそば人気とともに辛味大根の需要が急増し、産地も増えている。ただ、伝統的なおろしそばは、そばの味の濃い田舎系のそばであり、都会風の繊細なそばには辛すぎて合わないのでは、という声があることも確かである。

なお、いまでは大根のジアスターゼが消化によいことやビタミンの効用については常識だが、当時すでに、そばを食べすぎた時の「毒消し」に大根がよいことが知られていた。けれども、『本朝食鑑』のいうように、そばと大根の相性が好まれたのはやはり、嗜好的な意味合いが強かったようである。