そばの散歩道

麺類雑学事典

うどんと塩

一般に、うどん、ひやむぎといった小麦麺の場合は、小麦粉と水だけでなく、塩を加えてつくる。その理由はいくつかあるが、最も大きな理由は、小麦粉のグルテンを引き締め、生地の弾力性を増加させることである。

そのほか、小麦粉に含まれているたんぱく質分解酵素の働きを抑制する、気温の変化による生地への影響をよくする、麺の風味をよくするなどの効果が確認されている。いずれにしても、塩(塩水)がなければ、しこしことしたこしのある、おいしいうどんをつくることができないし、うどんの出来具合をつねに一定に保つこともできないわけだ。

小麦粉を水でこねれば、小麦粉中のたんぱく質が水と作用してグルテンを形成する。このグルテンのみを取り出した食品が生麩である。伝統的な製法では、強力粉ないしはグルテン量の多い中力粉に1%食塩水を70~80%ほど加えてよく練った生地を、木綿や麻の袋に入れて水中で揉み、でんぷんを流出させてつくられる。
このように、水があればグルテンは形成されるわけだから、うどんづくりには必ずしも塩を必要とはしないともいえる。実際、地方によっては塩を入れないで打つ郷土うどんがある。

しかし、小麦粉に塩水を加えてこねると、網目構造で生地をつなぐグルテン組織は、水だけでこねた時よりも強力に、しっかりと形成される。そして、うどん独特のしこしことした食感が生まれる。
また、塩水でこねた生地は、ある程度の時間ねかせてから延しを行う。この工程を一般に生地を熟成させると表現するが、ねかせている間に生地中のたんばく質分解酵素が働いていたら、生地は弾力性を増すどころか、反対にダレてしまう。

こうした塩の効用については、温度変化に対する塩加減の口伝である「十三寒六常五杯」などが示すように、かなり古くから、経験的に知られていたようだ。

では、いつ頃から知られていたのか。小麦麺づくりに塩を用いることを記した最も古い記録は、平安時代中期の『延喜式』(延長5年・927に完成)とされる。その「大膳式」には、天皇と皇后に供する索餅の材料とその分量、そしてつくるための道具類が記述されている。索餅の和名は麦縄。そうめんの祖先と考えられている古代の麺である。

「大膳式」によれば、材料は小麦と粉米と紀州産の塩。粉米は米の粉ではなく、精米した時に砕けてしまった米のことだ。小麦と粉米は、粉にした場合の量まで書かれている。

ちなみに、索餅は古代中国の唐代にわが国に伝えられた麺だが、中国で麺づくりに塩を用いる記述の最初は、13世紀後半から14世紀前半頃に成立した 『居家必要事類全集』とされる。もちろん、だからといって塩を加える技術がわが国で開発された証拠とはいえないわけだが、おもしろい事実ではある。