そばの散歩道

麺類雑学事典

そばの食べ方

そばは「食べ方」が何かと話題になる食べ物である。

いうまでもなく代表的なのは、つゆをどれくらいつけるべきかという問題だ。一箸で何本くらいすくい上げるべきかとか、猪口はどうする、蒸籠の簾やざるにのこった短いそばはどうつまむかといったことも、ごく基本的なそば食いの作法のひとつとして取り沙汰される。

食事にはマナーが付き物だが、ふだんの食事ではあまりうるさいことはいわない、というのがふつうだろう。けれども、そばの場合は違う。気軽に食べる日常食でありながら、食べ方がとやかくいわれて当然の趣がある。

ところで、そうめん、切麦(ひやむぎ)の食べ方の作法については、室町時代から細かく決められていた。といっても、上流階級の人々の正式な饗応膳での作法であり、一般の人々がどのように食べていたのかは不明だが、当時の作法は形を変えながらも江戸時代に受け継がれている。

元禄5年(1692)に出た女性のための絵入り教訓書『女重宝記』には、女子のたしなみとして、麺類の食べ方が詳細に述べられている。

索麺くふ事 汁をおきながら一はしニ箸そうめんを椀よりすくひ入て、さて汁をとりあげくふべし。そのゝちは汁を手にもちすくひ入、くひてもくるしからず。汁をかへ候はゞ、はじめはいくたびも汁を下にをきすくひ入、とり上くふべし。温飩もくひやうおなじ事也。蕎麦切など男のやうに、汁をかけくふ事有べからず。からみ、くさみなど、かならず汁へ入べからず。

これは実は、そばの食べ方について書かれた最初の文献とされるものだが、通常注目されているのは、男のように汁をかけて食べてはいけないという条である。わざわざ戒めているのは、いちいち汁につけないで、そばに直接汁をかけて食べる風があったということで、これが「ぶっかけ」のはじまりと考えられるからだ。

それはさておき、問題は、ここで述べられたそばの食べ方は、あくまで女性の作法だということだろう。文脈からは、男はぶっかけスタイルでそばを食べるのが当たり前というふうにも読めるわけで、この時代にはまだ、「そばの作法」はこれといって決まっていなかったとも解釈できる。

江戸がうどんを押しのけそばの町になるのは18世紀後半頃からと推定されているが、この時代は、いわゆる江戸っ子が形づくられた時期である。そして19世紀に入り、文化文政時代(1804~30)になると「粋」の美意識が生まれ、料理文化の爛熟のなかでそばも洗練されていく。

とすれば、現在も江戸っ子風の粋なたぐり方とされているそばの食べ方が確立されたのは、およそ200年ほど前のことだったのかもしれない。